国際恋愛からの学び

国際恋愛に必要な考え方を3つの視点から考えた

国際恋愛に必要なこと

愛だけじゃ乗り越えられない。好きだけじゃ続かない。

文化も言葉も育った環境、宗教などが異なる相手をあなたは愛せるだろうか?

日本人同士ですら、難しいこの問題。

日本人の知り合いに「外国人の彼氏がいる」と伝えると、「羨ましい」「外国人の彼氏っていいなー」と言われることが多かった。

しかし、私は「彼が彼だから好きでいれた」と今は言い切れるのだ。

最初は砂漠の民族だから好きだった。

かっこいいんだ、トゥアレグ族って。

だけど、イスラム教で恋愛という概念はなくて、付き合ったら結婚で・・・という彼と何年も付き合ううちに結婚の話も出てきたし、色々考えることが増えた。

相手の地元に住めるか?彼の地元を愛せるか?

私にとっては、ここが最もネックだったように感じる。

彼の地元はアルジェリア南部のジャネットという町。

アルジェリアは北部はアラブ人、南部にはトゥアレグ族が住んでいて、南部はビザを取るのも少しめんどくさい。

砂漠の町は旅行で訪れるのは悪くないけれど、夏は50度をこえるし、娯楽もない。

本当に田舎だ。

私は日本でも、比較的都会にしか住んだことがない。

いや、田舎レベルも日本とはきっと比べられないな。

うん、きっとあの町に住むのはなかなか難しいことのように思う。

もし結婚したら、速攻日本に戻りたくなる気がする。

ちょっと住んでみて、やっぱり嫌だわとなれないのも面倒なところ。

その人の地元を愛せないと、国際恋愛を続けることは難しい。

彼の育った町を認めてあげられなければ、彼の過去を否定することになってしまうから。

宗教はどうか?

私の彼はイスラム教徒だ。

ただ、これはどの宗教とか関係ないのかもしれない。

その土地がどんな宗教観があるかは、その地の風習や習慣、考え方を知るのに役立つ。

トゥアレグ族はイスラム教だが、女性が強い女系の考え方だ。

一夫一妻制で、なんと夜這いはOKだそう。

結構意外である。

キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、ユダヤ教にしろ、どの程度厳しいのか、どの程度家族の結びつきは強いのか、女性の仕事観、結婚観、何でも宗教を見てみるとわかりやすい。

厳しいところはどこにでもある。

言葉の違いを受け入れられるか?

私と砂漠の彼は、言葉が通じない相手同士だ。

元々彼は英語を話すことができなかった。公用語はアラビア語とフランス語。

私と付き合ってから、一週間で覚える英語的な本を購入し、それで多少の単語は使えるようになった。

それでも大事なことは、アラビア語に翻訳して、彼にメッセンジャーで送信する。

一緒にいるときは翻訳を見せる。

結構大変な付き合いと言えるけれど、私はお互いきちんと通じる関係ではなかったからこそ、関係が続いていると考えている。全部わかってしまったら、結構大変だろう。

もちろんそんなことはめんどくさい、という人も多い。

彼も我慢強いなって。

私は一切勉強しないけど、何も言わない。

もちろん通じる、ネイティブな関係にいつかなりたい気持ちもあるけれど。

言葉は1番最後に気にしたいポイント。

だって、非言語が実際1番通じてしまうから。

言葉が通じない程度で別れてしまうなら、その程度なんだと感じる。

結局どうあっても許容できるか?受け入れられるか?

受け入れる、許す、色々言葉はあるけれど、結局「違う」のだから、それを諦めたり受け入れたりしないことには国際恋愛は上手くいかない。

人間は特に許すっていう作業が1番苦手。

違うものを異端と考え、敵と考えてしまう生き物でもある。

私は最初好きという気持ちで何でも乗り切ってきた。

ただ、好きという気持ちは変わってしまう。

それは慣れだったり、色々な理由でカタチを変えるからだけど。

好き。そんな単純な気持ちで見ずにいたことをずーーーーーっと見ないことは不可能だ。

「器」という言葉を国際恋愛をしていて、初めて気がついた。

自分の常識の範囲内で判断をしていては、異文化を受け入れることは難しい。

どこまでそれを崩せるか、愛でできる部分は愛でカバーするのか。

国際恋愛をした結果、「自分の器が広がった」という人は多い。

そもそも、恋愛自体が人と関わりながら欲望を調整していくものだけど。

自分と「違う」人を愛する。

それはとても素敵なことだ。

国際恋愛は始めることは簡単でも、続ける事は難しい。

でも、楽しい。

私はまだまだトゥアレグの彼を愛したいと考えている。